社畜系レズビアンは自由の夢を見るか?

自由を夢見る社畜系レズビアンは、無事人生を生きる事が出来るのだろうか

社畜の自分とニートの自分がいる説

心に社畜の自分とニートの自分がいる説


こんにちは。
好井愛奈です。

有給を取って彼女とディズニーへ行きました。
その事は後日。

まぁその日が楽しくて仕方なく、次の日の今日も非常に幸せな日です。

朝起きて(一瞬出勤だと思って慌てたけど)、前に自炊した残りの煮付けを食べながら彼女と電話して、お風呂を沸かして彼女と電話を繋ぎつつ読書、これから友達と遊びに行きます。

こうして書くとマルチタスクし過ぎですね。
マルチタスクは脳に良くないと最近巷で言われてますので、しないように心がけてはいますがどうしてもやりたい事が多くてマルチタスクになってしまう…。

閑話休題


まぁそんなこんなで、充実した2日間を送っているのですが。
移動中の電車で本を読みながらふと、仕事の事を思い出しました。
その時、胸のあたりがもやもやと重くて苦しくなりつつ、働いている自分が来ることが信じられなかったんですよね。
今、こうして友達に会うために移動している自分が、数十時間後には働いている…。

そう考えると、働いてる時の自分は明らかに自分ではない気がします。働いてる最中は、働く事も苦痛ではないことが多いです。まさに社畜の自分。


働いてる時の自分は、ニートの自分ではないんじゃないかと。
だって働いているときは仕事が終わらない為、進んで残業をします。
今この瞬間は1秒だって働きたくないのに!!!

働き始めるまではブログを書いたり友達と遊んだり彼女とうざいぐらいイチャイチャするニート(になりたい)の自分。

働き始めたら焦りながらも働く社畜の自分。

したくない事をしている時の自分は、したくない事をできるように別の自分が出てきて働いてくれているのかもしれません。

それなら記憶とかも引き継がないで欲しいんですけど。休日に仕事思い出したくないので、頼みますわ社畜の自分。


そして社畜の自分の存在こそが、私が社会人になるために必要な割切りなのかもしれませんね。

仕事を辞めたくて辞めたくて仕方がなかった私ですが、やはり金や立場が無ければ彼女を幸せにできませんので、出世などは目標とせず、例え底辺でもゆるゆると働き続けようかと思っているところでございます。

自由への誘惑に負け、会社を辞めたところで、資本主義社会の波に乗れなければ、実家が細い私は貧困層まっしぐら。
正社員の道を捨てるのは愚かなことなのかもしれません。

自分の為では頑張れませんが、彼女の為であれば頑張れる気がします。多分…笑


私は、人のためにしか生きられない人間なんだと最近強く思います。
それがある意味依存なんだとも思います。
でもそれで幸せに生きて行けるのであればそれでいいです。


ぼくは幸せに生きます。
幸せに生きる為生きているのです。


でも出来る限り、働かずに生きれるよう、自由に生きられるよう、なんとかもがいて行きます。byニートの自分

 

おわり。